タロウのある朝


タロウは、ある朝アサガオが花開くように目覚めた。
住んでいる団地は静まりかえっている。
「まだ寝ていてもいい時間だな」とタロウは思った。
タロウは知っていた。目覚めるときはいつも、周りも目覚める。団地には生活音が感じられるようになり、鳥も目覚めと同時に仲間に挨拶するはずだ。
天井を一点にみつめながらタロウはその時を待った。
「━━━━━。」
鳥のさえずりが聞こえだした。
上の階の住人が歩いている音もしてきた。
タロウは枕元の時計で時刻を確認した。やっぱりちょうどいい時間だ。
タロウは郊外のこの団地に越してきてから目覚まし時計を使わなくなった。生き物の音がし出して、目覚めの時刻を教えてくれるのだ。
都心に住んでいたときは、いつも周りに物音があり鳴り止まなかった。
それは、今のこの環境から考えると時間の感覚を曖昧にするものだったんじゃないだろうか。
「一度静かにならないと分からないこともあるな」
タロウは毎朝目覚めてから出勤するまで流していたテレビを今日はつけないことにした。そして、トーストが焼けるまでの間、自分の部屋を眺めた。
「観葉植物でも買ってきて、部屋に置こう」
スケジュール帳に小さくそう書き、文字を眺めた。
文字の下にアンダーラインも二本付け加えた。

おおきなものがうごいている。

信号待ちの時間

自転車を片足で支えて、空行く雲を眺めた。

目を凝らしてみると、雲がゆっくり動いている。

周りをみても誰も空を眺めていない。

あんなに大きなものが、小さくではあるけど動いているのに誰も彼もいつものように暮らしてる。

ビルがゆっくり移動していたら、みんな驚くはずだ。でも、雲が動いても驚かない。

もしかしたら雲が動いていることに気づいているのは自分だけじゃないかと思った。

世界が自分の存在に気づかれて、喜んでいるような気がした。

そうだ!地球も動いているんだった。

私たちはその上に暮らしているのに、地球が動いていることを忘れてしまう。

きっとそういう手や頭や目を凝らさないと気付けないものが、たくさん気づかないところで動いているんだ。

トシロウ

ニホンのトウキョウ、その中でも下町と呼ばれるような商店街と人々の生活が密着した地域の話。今や店ではなくシャッターが立ち並ぶ商店街の近くに10年前に古びた街並みに似つかわしくない現代建築20階建てのピカピカと光ったマンションが建てられた。そのマンションに家庭の事情により、6歳のトシロウは母親と二人で越してきた。

10年経った現在、ピカピカのマンションは風化の力に漏れず、古びた商店街にもなじむ色合いに変化していた。トシロウは一人っ子のためか手塩にかけて育てられ、体格も並みで、話す言葉はまだ子供っぽいが声色はもう一人前の男性になっていた。

朽ちていく町が影響をあたえたのか、トシロウは死について考えるような哲学性の青年になった。

「なぜ人は死ぬのだろう」

トシロウは人が死ぬことに強烈な興味をひかれている。死ぬことを考え、自分が死ぬのだとわかるといつも悲しくなる。その思考の癖を直そうと心みるが、どうしても「人はなぜ死ぬのか」という疑問が頭の中を無邪気な子供のように駆け回り、整理した思考を散らかして、散らかし放題すると頭の外へ飛び出していくのだった。

トシロウの死への学問は、中学時代、14歳のときに始まる。14歳特有の自己の確立という段階に、皆と同じように入ったのだ。恋愛をすることで人からの承認を得て、自己を確立しようという子達もいるようだが、トシロウは「恋愛」には興味を示さず、「死」を考えることで自己を確立しようとした。「死」を土台にした自己の確立は苦痛がともなう。自分が死ぬ存在だということを認めなければならない。若く、自分はなにも成し遂げていないと思っているトシロウにとって、それは絶対に認められないことだった。だからトシロウは「不老不死」「錬金術」「魔法」に興味を抱き、不老不死への願望を描き出した物語を読み漁った。だが、物語の主人公の人間はいつもこう言うのだ「人間は死ぬから今を生きられるのだ」と。トシロウの悩みは解決されず、16歳になった今も自分が自己を確立できていないようにトシロウには思えた。

 今日もトシロウは小難しい哲学書を読み漁る。出てくる言葉は「死」「無」「愛」トシロウはそれらの中に答えがあるはずだと感じていたが、それらの言葉すべてがまったく通り過ぎる雨のようなもので、地面に染み込んでいくようなものにはならなかった。あまりにもおぼろげなものばかりなので、この言葉たちはそういうものなのだとあきらめていた。わからないものを読んでいる自分に酔いしれることでトシロウは読書を楽しんでいた。

 16歳になるとトシロウも「恋愛」というものに興味を抱いた。だが、周りの子達は一足早く恋愛を経験しており、トシロウは行き遅れていた。小難しい本ばかり読んでいたせいでトシロウは「知らないということが知られるのが恥ずかしい」という悩みにぶつかり、愛するという宝にフタをしてしまった。

 「俺は一生なにもしらないままに死んでいくんだ」

人間の根源的なものまでも知りたいと願った少年は、世界で一番何もしらない生き物になってしまったとあえぎながら、それでも世界につかまりたい一心で小難しい本を読み続けている。窓の外の空はすぎさった台風が青以外の色全てを連れ去り、真っ青に光っている。季節も夏から秋に変わり、少し肌寒い風がキンモクセイの香りを運ぶ。無邪気に遊ぶ子供たちは、まだ夏だと勘違いしているのか寒そうな格好で公園を駆け回っている。トシロウは、カーテンを閉め、人工灯の下で本を読む。風もなく、寒さもなく、あるのは音だけ。それもページをめくる音とかすかな息の音だけ。

だれがこの人工灯で育つアシ(パスカルは「人間は考えるアシである」と言った)に野の記憶を思い出させるのだろう。

きっかけは、ふいにおとずれる。

下の階の住人が火事でも起こし、トシロウは外へ飛ぶ出すかもしれない。

好きな女の子の話声が外から聞こえて、窓を開けるかもしれない。

きっかけはいつも自分以外のところから来る。

風が便りを運んでくる。

ネジと私と無駄話

仕事中に雑務として、印刷物の描かれた紙をはさみでカード状に切っていた。目の前には同じ仕事をしている若い女性がいて、共に果てのない会話をしながらカードを切っていた。

そんな仕事の最中、脈絡もなく彼女がこんなことを言った。

「こういう風にはさみを使っていると、はさみに心があるのかな?なんてことを考えたりするんですよね。みんなは考えないらしいんですけど。」と彼女は言った。

この彼女は、本人いわく純粋なものが好きで、なにかにつけて「優しさ」とか「自然の素晴らしさ」とかを話の中におりまぜる人である。そんなことで、周りの人と会話が合わないことがあると前に打ち明けてくれていた。今回の話もその流れで「はさみに心があると思ってしまうのは変でしょうか?」ということなのだろう。

私は「物に心があると思うのは、子供のときは皆思うらしいですよ、だから大人になっても子供のときの純粋さを失っていないってことなのかもしれませんね。」と話した。

彼女は「なるほど。」と切り返した。私は、彼女が納得したかはなはだ疑問だったが、そのあとの会話を続けても、その思いを無理やり賛美するような文句になりそうだったので、話を区切り、再びカードに意識を戻し黙々と切ることにした。

黙々と切っていると、さっきの彼女の質問が頭の中に戻ってきた。確かに私も無機物に対して心があると思うタイプだと思った。その思いを脳内でフラフラさせていたら、ひとつの疑問が浮かび、私は口に出した。

「はさみに心があるとしたら、ネジにも心があるという話にもなってくるんじゃないかな」

彼女は終わったと思っていただろう話がまた始まったので驚いたようだった。確かに、脈絡から言えば確実に「END」の文字が付いた話だった。私はこういうことがよくある。しかし、これはしょうがない。きっと彼女は、私と1対1で会話していると思っているだろうが、私は会話が終わったあとも彼女の会話をうけ、私の内面(彼女の見えないところ)で多種多様な意見をもつ様々な私とも会話していたのだ。それは私以外にはみえないので、それがみえない相手からすると終わった会話がまだ終わっていないことに驚くのだろう。そして、そんな何十人の会話が私の中ではじまってしまうと、私は一つの口から何十人分の意見を一度に言わないといけないので大変忙しい。

彼女のほうをみると顔に「?」が浮かんでいるが、何十人分の意見をいわないといけなくて忙しい私は、彼女が返事もしないうちに次の意見を口に出す。

「はさみに心があるとして、そこからはさみの一部であるネジにも心があるとすると、そのネジははさみとして機能しているとき、ネジはネジとしての意識を持つのだろうかということを考えだすよね。」

ある一人の私が、このネジについての妄想を強める一文を脳みそのすみっこに見つけ、取り出した。

「話はとぶけれど、臓器の移植手術の話で他の人の臓器を移植した後、移植された人が、自分のものではない記憶を持っていることに気づいたらしい。そして、その記憶は、臓器提供者の記憶だったらしい。体の一部は意識を持っていないように思えるけど、持っていた。」

彼女は「それって怖い話ですね」と返答する。話の全容はつかめていないだろう様子だが、なんとなく怖いことをいっているからの返事という感じだ。意味がわからないのに優しさで話を聞いてくれているのが伝わってくる。しかし、わかっているのに止まらない。

「だから、たとえばその臓器のように、はさみにとっての体の一部であるネジも意識をもっていたとしても大きなもの、はさみという形にとりこまれると、ネジ自体の意識は薄れるのかもしれない。」

溢れ出す何十人分の議論。それが一つの口から飛び出していく。

「意識があってもパーツとして大きな形に飲み込まれると、その存在(パーツ)の意識がなくなり、大きな意識にとりこまれるというのはよくよく考えてみればあることだ。たとえばそれは戦争なんていうときに良く現れる。一人の人間は持ちえない意識でも、集団になると現れる性質がある。私たちも、その大きな意識のパーツにすぎなくなり、意識が消える。」

彼女の顔は降伏宣言をしており、これ以上の会話は死に体に剣を刺すようなものだ。しかし、私はいまようやく剣の振り方をつかんできた人間であり、それを試したくてしょうがなくなっている。狂気にとりつかれた人間は、無意味な行動を繰り返す。人間は目的のために生きてはいない。

私はこの後もこれらに続く会話を仕事の終業時刻まで続けた。疲弊した彼女は最後に「なんだかわかりそうだったけど、まだ私には難しくてわからなそうです」というネットショッピングのAmazonにある評価欄のような意見を残してくれた。星はいくつだろうか?

そして、私はこんなにも会話で若い女性を疲弊させたというのに、まだ話し足りないのかブログにまでそのことを書くのであった。

雫と光

朝から止まない小雨

この街の中心にあるビル群も雨の雫を身にまとい、無機質な存在も自然にあてられ生命を宿す。

灰色の空、濡れたビル群、歩く人々のカラフルな傘や衣装も雨の世界に包まれ発色が抑えられる。

朝、昼、いつまでこの灰色の世界は続くのだろうか。

住人達は、長く続く暗闇に我慢できず、いつもより早めに街に明かりがつけていく。

ぽつり、ぽつりと夜が世界の下地色に少しずつ滑り込みながら、明かりも増えていく。

世界の下地色が全て夜になったとき、朝、昼と長い時間、空が世界にちりばめた雨の雫が姿を現す。

街の全てにはりついた雫は、街の明かりをとりこみ、乱反射させる。

街の明かりは、人々を誘い込むための明かり。

だから、そこに住む人々の欲望の色ほど多様な色がある。

飲食店の明かり、歓楽的な明かり。

人々を誘う様々な明かりが、街のいたるところにある雫に入り、乱反射する。

街全てが宝石になったようだ。

きらきらとひかり、幻想的だ。

私は透明傘にのる細かな雫たちを傘裏から眺める。それら一つ一つが光をとらえる宝石。

私は人生でもっとも多くの色を身にまとっている。