涙と味と透明度

心臓をわしずかみにされたような感覚で、涙がわきでる。

どうして泣いてるのかわからない。

心がいっぱいになってなにがなんだかわからないから吐き出してる感じさ。

涙の理由を知りたいなら、涙の雫をひとつずつ調べればわかるかもしれない。

きっとぜんぶが違う味と透明度だ。

それに、理由がわかってても説明なんかしたくない。理由を説明したら、それ以外の涙がひっこんでしまう。

ただ泣かせてほしい。

優しいクラシックで、くだらないコメディーで。

誰にもみられたくない涙がこぼれる。

説明できない涙は、誰にもみられたくない。

それは、深くて深くて暗くて恐ろしい。

自分でも説明できない動きには、自分の奥底の本能が生命がある。

そんなもの人になんかみせられない。こちらの世界に引きずり込んでしまう。

神のような人にみられれば、自分でも知らない涙の理由があきらかになって、恥ずかしい。

自分の知らない恥部なんて、隠すことはできない。

泣いている。人前で。

そんなことしないと誓っていたのに。

涙の純度は増し、量は無限に思えた。

私の内側がぜんぶひっくりかえるまで、涙は止まらない。

やっと泣けた。

悲しい、そのときに涙って出るもんだと思ってた。

悲しいのかもわからないのに涙は出るし、

悲しいより悔しいときに涙はでる

心がちょっと落ち着いてしまったときに涙はでる

すぎさった後ろ姿に、涙は出るんだ

幻想と私

幻想は力だ。私はそれに頼る

ああ、なんて弱い生き物なんだろう

そんなウソの力に頼らなければ生きていけないなんて

皆が自分を求めているという幻想を抱けば、恥部さえみせてみようという気になる。

Aはこういう人だから、こういう風に接して、

Bはこういう人だから、こういう風に接しよう。

そういう幻想が無ければ、誰とも話せない。立っていることすらできない。

幻想は闇だ。すべてのことを想像ですませられる。

相手の表情や、自分の姿をみずにすむ。

ほんとうは怒っているのに、ほんとうは醜いのに。

現実は光だ。強く、まぶしく、くらくらする。

でも、現実が無ければ私は軟弱に育つだろう。

光合成のしない植物のようにひょろひょろと、どこに向かっていいのかもわからず、ただようように成長を続けるだろう。

正しいことがひとつであったのならと思う。

幻想か現実、どちらかひとつだけを追い求め歩くことが、正しい道になるのならどんなに楽だろう。狂信的になりたい。しかし、そうはなれない。

今、目の前にいて話をしている相手のことを知りたいという欲がある。

けれど、幻想によってゆがめてしまうときがある。

そうしなければ、関係をなりたたせられないと気付くと悔しい。

本当はもっと知りたい。

私がどんな幻想をみているのかを知りたいんじゃない。

相手がどんな幻想をみているのかを知りたい。

幻想をみて、くるっている人をみたときだけ自分が幻想をみて、くるっていないのだと認識できる。

私は、幻想をみている相手をどこまでも包み込みたくなる。

誰の手によっても傷つけさせないと誓う。

赤信号を青信号だと思ってわたっていたら、車をとめて、助けたい。

私は自分が幻想をみていて、誰かを傷つけたりしているんじゃないかと、それだけがとにかく不安だ。

だから、幻想をみている人がいたら、安心して幻想をみさせてあげたい。

私はそれをしてもらいたい。

幻想をみているかもしれない私をみつけたら、ほっておいてほしい。

幻想にいってしまったときはなにをしても戻ってこないし、現実に戻ってくるときは、戻ってくる。

ただ待つしかない。

私も待つ。

目が覚めるのを。

年齢と能力について(自分への問いかけ)  

 

私は高校生の頃、同年代で有名になる人物に対して嫉妬していた。

私はただの高校生で、有名になりたい、皆に認められたいと思っていた。

しかし、その考えは今思えば自分というものを確立できておらず、誰でもいいので認めてほしいという行為だったと思う。

年齢だけで嫉妬するのは間違っている。

なりたい姿が生み出される年齢というものがある。それは努力とは関係ない。

卓球選手は若いうちに芽が出る。

そういうものだ。自分がなにになりたいかを理解しなければ、その嫉妬は間違った方向へ進む。

経営者で若い人がいる。若いのに経営していて偉いと言われるかもしれない。

しかし、それは若いなりの経営なのかもしれない。

雇われる側を長いこと経験していない経営なのかもしれない。

この嫉妬は、経営者になることが目的になってしまっている。

経営者になりたいから、経営者になる。

若い頃から年取った話をしていて、落ち着いていて偉いと言われるかもしれない。

しかし、彼は若い時が短いだけではないだろうか。

この嫉妬は、年取った話し方をすることが目的になってしまっている。

人それぞれの成長というものがある。

確かに、若い頃は自分が確立していないから、もともとある形(かたち)を求める。

免許や肩書を求める。

しかし、他の成長にまどわされて自分のなりたい姿や、成長をみあやまってはいけない。

自分の中の時間で、最高のものを産み出すべきだ。

たしかに、比べようとすると目が外側にしかついていないから他と比べてしまう。

しかし、それに惑わされてはいけない。なりたい自分を思い描くのだ。

無知という知

若い人というのはファンタジー的な思想のあるものだ。
自分の住んでいる土地のことではなく、よその土地のことをもってきて
「こうすればいいんじゃないか」という風に話す。
「だから昔ながらの人とは話が合わない」と話す。
だが、実際それは机上の空論であり、実践できない。
が、それが重要なのではないかと思う。
既存の「これはこうだ」という価値観を揺るがす価値観。
無知こそが、新たな世界を作り出すのである。
無理なものをもってきて「じゃあ、どこまでは吸収できそうか」と考える。
それによって新たなものが生み出される。
年を取るとある種、無知ではなくなり生きている環境に納得していくことになる。
それは素晴らしいことだ。試行錯誤し納得できるものを生み出してきたということ。
しかし、それを若者に強要してはいけない。
無知も、一つの知なのかもしれない。

いつか会いましょうスクランブル交差点で

聞こえますか、私の手の届かない場所にいる人達や私がまだ発見していない人たち

わたしは貴方の努力を知っています

何度、人にバカをみれば自分の性格が治るのだろうと悩んでいるでしょう

しかも、同じ人に対して何度もバカをみている

優しいのです。心から溢れてくるんでしょう、人を疑いたくない思いが

ドードーのようです

彼らは警戒心がないから、絶滅していまいました

お願いです。絶滅しないでください

わたしはわたしと似た貴方が心の頼りなのです

名前も知りません。顔も知りません。どこにいるのかも知りません。

でも、似た悩みをもっている人がいることは知っています

いつか会えるはずです。こんなに願っているんですから

いないなんて信じたくありません

辛すぎます。自分の悩みが誰にも理解されないなんてこと絶対に信じません。

私はあなたの悩みを知っています。似ている悩みを持っています

あなたは特別な存在だけど、私と触れると特別ではなくなります

特別を共有しましょう

聞こえますか

周波数はあっていないけど、電波は飛ばしています

どこにいますか

いつか会いましょう

スクランブル交差点で