破壊と再構築

※今回は、支離滅裂な記事になります。

 

実生活で、価値観の破壊を行ったために、

今、価値観の再構築を行っています。

その為、支離滅裂です。ご了承ください。

 

 

私は立派な人間だと思われたいのです。

だから、自分の失敗というのが恐ろしく、それを隠ぺいすることがよくあります。

最近、仕事でまた隠ぺい体質を出してしまいました。

自分の失敗がコワいので、ばれない場合は隠ぺいします。

ばれてしまうような大きい失敗は、隠ぺいしません。

冷静に考えれば、隠ぺいするようなことではないのです。

私が想像しているような、天が落ちてくるということはありません。

でも、失敗が恐ろしくなり、混乱し、

私は、なぜか心の中の、

「なにもできない子供」に仕事をバトンタッチします。

今まで、生きるための方策だった

「大人の人格を作って、冷静に対処する」

ことを忘れ、素がでてきます。

そうすると、私は隠ぺいします。

私は、失敗する生き物「人間」なのに、

まるで失敗しない生き物「神様」みたいになろうとしているのです。

 

隠ぺいした後に待っているのは、

永遠に続く罪の意識という牢獄です。

 

私は、出所することにしました。

私は、罪を背負って生きていくことにしました。

 

気づきました。

今までは、罪を背負うというのは、

牢獄で一生暮らすことなのだと思っていました。

しかし、皆が許す失敗の場合

出所して、生きていかなければなりません。

 

なぜ、今まで出所しようとしなかったのか

 

今までの私が、牢獄で苦しんでいる姿をみせれば

皆が喜んでくれると思っているからです。

嫌いにならないでいてくれると思っているからです。

 

罪を背負って生きるということは、

「生きる」ということは、幸せなことなのです。

 

「失敗した人が、幸せだとを許せない人」

 

そういう人たちに、私は好かれようとして

苦しんでいる姿をみせるのが癖になりました。

 

つらいことがあると、苦しい表情をして

「わたし苦しんでるよ、助けて」と心で表すのです。叫びません。面倒なやつです。

 

それをすると、

「失敗した人が幸せだと許せない人」は、にやにやと笑います。

そして、失敗して後悔してる心を開いて、

「お前はそういう人間だから、クズだ。意見はいうな」

と言います。

私は、その人のいいなりです。

苦しんでいる姿をみせて、喜んでもらえるのがうれしいのです。

 

問題なのは、そのクセが

そういう「失敗した人が、幸せだと許せない人」以外にもおよぶことです。

私の幸せを願っている人に対して、

「私苦しんでるよ!助けて!」と苦しんでいる姿をみせます。

人の幸せを願っている人は、助けてくれます。

 

しかし、かなり面倒なのは

「私は、ダメだよ。救われない」と私が救われるのを断ることです。

この自己嫌悪をアピールしていた相手は、一度も私を救ってくれたことはありません。

だから、救われたいと思っている心より、救われたくはないと思って話している割合のほうが多いのです。

だから、幸せになれる言葉を受けとることはありません。

 

救われたくないと思っている人間は、自分で自分を殺そうとしているので、

皆が助けてくれます。

そして、その助けがないと生きていけない状態にしているので、

皆が助けてくれるのが当たり前とおも思っています。

 

「私苦しんでるよ!助けて!」に含まれているのは

二通りあって

幸せを願っていない人への

「私苦しんでるよ!助けて!」

という不幸だから嫌わないでくださいアピールと、

 

 

幸せを願っている人への

「私苦しんでいるよ!助けて!」

という、私を助けなさい!という命令(手助けがないと生きていけないので、まるで自分の体の一部のように思っている。心臓がないと生きていけないように)

 

自分のことを思っている人に対して攻撃を行い

自分のことを思っていない人に対して、こびを売るのです。

 

土台から変えねばなりません。

土台というのは、はじめに作るものです。

でも、もう隣の家によりかかった家を維持する気にはなりません。

寄りかかった相手が何も言わないから、寄りかかっていたけれど、

私はそれがとっても嫌だったのです。

私の夢は、自立して、自分の足で立つことなのです。

 

だから、破壊と再構築を行います。

恐ろしいです。

破壊の後に残っているのは、遠くにいる皆の影です。

いや、姿すらみえないかも。

でも、やります。

 もう私は、この崩れかけた家をみていられないのです。

崩れかけた家のニュースで喜ぶのは

私のことをなにもしらない人で、

知り合いは、

崩れかけた家にいる私が生き埋めにならないか不安で

「ひっこしなよ」というのです。無理やりひっぱりだそうとします。

でも私は、必死で家にしがみついて

「ニュースに出たら皆が笑ってくれるかも」と言うのです。

 

もう私は、この崩れかけた家をみていられないのです。

 

 

 

支離滅裂で失礼しました。