自分(個性)の名前を呼んであげたい~個性についての問い~

個性ってなんだろう?


思いつくのは、個性について行われたある授業

 

「まずはみなさん、好きな絵を描いてください」

そう、先生に言われた生徒たちは、紙に好きな絵を描いていく

 

生徒が「好きな絵」を描き終えると

「では次は、ここにあるビンを描いてください」と先生が言う

 

生徒は、真剣な顔でビンを描いていく

描き終わった

 

生徒の描いた「好きな絵」を並べてみると

同じような題材の絵がいくつかみられる

 

次に「ビンの絵」を並べると

多種多様な絵の描き方があることを感じる

 

 

この授業でわかるのは、

たしかに「好きな絵」という「世界にあふれているものから何を選択するのか」というのも「個性」

しかし「個性」というものはそこで終わりじゃなくて

「選択したものを、どう見るかの選択」というのも「個性」

 

なるほど

 

この世には選択が大量にあふれているから、第一段階の選択だけで「個性」を出すことはできる

けど、それだけでは「内なる感動」は感じられない

 

こういう「個性」についての授業を知っていて、「個性」についてあともう一歩の核心を求めていた私に、最近、格言がまいおりた

 

もし、君が一本の木を描きたかったら、その木がほかのどの木にも似てこなくなるまで描きこみなさい。そうすればそれは君だけの木になり、ほかの木を全て包含することになる。

レイモン・サヴィニャック(レイモン・サヴィニャック自伝より)

 

これが第二段階の「個性」を深める方法だ

一つのテーマをとにかく、考え続ける

徐々に「これはこう描けば、良いらしい」という固定概念がボロボロとはがれ始める

そして、最後に「個性」が姿を現す

 

ミケランジェロが言っている

「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ」

ミケランジェロは、石の求める形を掘り出してあげたにすぎないと話している

これは石の「個性」でもあるが、

これは、ミケランジェロが「どう世界を捉えているか」という「個性」でもある

 

 

ああ、わたしは「個性」が知りたい

だから、自分の個性がみえてくるまで何かを描きつづけよう

テーマはどうする?

わたしは、わたしという存在を考えるのが好きだ

他人があきれるほど、わたしという存在を描きつづけよう

「わたしはどう世界をみて、どう生きたいと願うのか」

それに気づいたとき

わたしは「内なる感動」に包まれるはず

涙が出てくる

自分のことを知ってもらえたときほど人は嬉しいことはない

 

 

人が言われて一番嬉しい言葉は、自分の名前なんだ。
だから、好きな人の名前はたくさん呼んであげるんだ。(映画「ラースと彼女」

 

名前を呼んであげるのは、自分自身でもかまわないと思ってる