キューブリックの現実

ああ、「時計仕掛けのオレンジ」を

ついに観てしまった。

 

俺は今まで「観たい」という衝動に何度もかられながらも

自分の中でカルト的位置付けの、この作品を

「あれをみたら、洗脳されるのでは」と

拒んでいた。

俺は洗脳されやすいタイプで、

アクション映画を観ただけで、

強い気分になってしまうほどだ。

 

そんな俺が「時計仕掛けのオレンジ」を観た。

 

予想どおり

今の心は、時計仕掛けのオレンジ一色。

 

作品の感想は、

「またキューブリックが現実を突きつけてきた」だ。

 

彼は、彼の作品

「2001年 宇宙の旅」でも

Aiの発達した現実を、緻密にえがき出した。

 

彼は現実を突きつけてくる。

「人間はこういう生き物である」とね

 

それは、少しも文句も言えない現実

 

その現実を突きつけられた俺は

まるで北極でアザラシ皮の温かコートを着込み

「余裕だよ」と話していたら

急にコートをはがされ

「現実の寒さはこれだ」と体感させられた気分

めっちゃ寒い

 

キューブリック

厳しい社会を生きていくために、あえて浮かれてる人間に、現実を叩きつける。

 

ある研究結果で、うつ傾向の人は

一般的な人よりも「認知能力」が高いという。

「自分がどんな人間で、世界はどうなっているのか」を一般的な人よりもハッキリ認知しているのだ。

 

キューブリックは、その認知を引き起こす

 

ただカフカとか太宰治のような

主観的な話ではなく

(主観的にハッキリと現実を認知しているため、うつ傾向のある作品になっている)

 

キューブリックの作品は

俯瞰(神様)的視点で、認知させる

さまざまな角度からの現実を

すべて並べ終えたあとに残るのは

「神になったような気分」(万能感のようなものではない)

 

ラストになるにつれ、

神の気分なっていくので、

全体の感想が「言葉にできない」

 

芸術作品を「言葉にできない」という領域まで伸ばし触れているところは、感服しかない

でも、キューブリックの(空しさの残る)趣向は好きになれないので

自分の作品は、

現実を描くけど、もう少し空しさの和らぐ作品を作りたい

「言葉にできない」という領域に触れたい

「言葉にできない」領域を、芸術は表現できるのだと教えてくれたキューブリックに感謝したい。

 

現実をえがき、喜びを残したい

ただ、現実を突き詰めていった結果

俺の中から喜びが消え失せるという危険を

今回は少なからず感じた。

 

しかし、パンドラの箱を開けずにいられないのが、人間である俺なんだろう

 

「これから、パンドラの箱を探して

見つけられたら、触れたい」

とワクワクしてしまっている

 

矛盾の渦にのみ込まれそうだ

 

そうだ、こんな物語を思い出した。

 

ある男が小舟に乗っていたら、

とてつもなく大きな渦潮にのみ込まれた。

しかし渦潮が、途方もなく大きいので、

長いこと落ちている。

上には月がみえ、感情にふけいる時間もある。

男は、死と光を同時にみている。

 

そういう小説があった。

矛盾したような心に同時におそわれる。

そんな感じさ。

 

言葉にできないんだ