老人と死に神と走馬灯 ②

私は家族の目の前で、堂々と家出の支度をし、目の前で家出をした。

父はいちべつもくれずに仕事をしていた。

なにを思っていたのか・・・本質が違いすぎて考えが及ばない。

 

弟の、あの時のまなざしは、今でも忘れられない。

 

人間は瞬時に信頼できる人物をみわける。

家出した時の私もそうだった。

 

私が身を寄せたのは

ギター職人、親戚、友人、恋人

ではなく、

流れのギター弾き

「弟子にしてください」と頼み込むと

すんなり承諾してくれた。

私は晴れて、父がいうところの「闇の住人」へ

 

ギターを弾き始めた頃の遊びが役に立った。

客から「家」とか「石畳」などの簡単な言葉をもらい、

それを音にする。これが、定番に。

特に「土・草・ぶどう」などの音は、評判がよかった。

師匠も「私が作りましたよ」という顔で、この芸を披露していた。

私はそれが嬉しかった。芸人は、いつも雨風にさらされていて、面白い芸が出来ると、少しの間屋根の下で眠れる。師匠に恩返しができた。

 

それから怒濤のように日々が過ぎ去り、

 

春を売る館での春

師匠との別れ

幾度と無く、酒に溺れ、自己嫌悪に陥り、泣いた。

 

私は、恥を初対面でさらけ出す人間となり、すっかり闇の住人に。

雨風をしぬぐ屋根は無くても、居心地は良かった。もともと、感情の我慢というものができない性質(たち)であったから。

人間というのはつくづく心の生き物だ。

 

芸人たちが集まるパーティーで、ある女性に出会った。

彼女は歌手で、完璧な芸術家(トゥルーアーティスト)だった。

「どうも」

「はじめまして」

私はその頃、初対面の人間にはお得意の言葉を音に変換する芸を挨拶として披露していた。

結果、私の全ては彼女に見透かされてしまった。

「もしかして、自然に囲まれた場所で生まれた?」

芸術は、自分を表現する行為だが、作品が生まれた理由まで見透かされるとは・・。

私は紅潮するのに、気づくほど、顔を真っ赤に

トゥルーアーティストは、物事の本質を見抜く

芸術家は、作品が生まれた理由を見透かしてもらうことを望んではいけないけど、それを、好意を抱く相手から指摘されるのは嬉しい。

「この人はよくわかってる」 

 

彼女との会話は楽しかった。

私すら知り得ない私が次から次へと湧き出てくる。

彼女の歌と同じだ。人の心を揺さぶり、人の本質を浮き上がらせ、なにかを作りたくさせる。

 

彼女の歌が好きだった。

けれど、彼女は次第に舞台にあがらなくなった。

 

「なんで舞台にでなく?」

「彼が、イヤだっていうから」

 

彼女は有力な地主に見初められていた。

ショーハウスで歌っている彼女に一目惚れしたのだそうだ。

 

「せっかくの声がもったいない」

「歌なら、舞台じゃなくても、歌えるから」

「もう場所を決めて、安心して歌いたい」

「そっか・・。みんなが、君みたいに歌を愛してたら、誰かの歌に依存しなくても、自分で喜びを生み出せそうだ」

 

私は、彼女のいる町を離れた。

ギターを弾くことの意味に疑問を感じたからだ。

 

ほんとうはそんなこと考えるものじゃない。芸術に意味などない。

けれど、考え出すと脳に焼き付いて離れなくなってしまった。

 

私は故郷に戻りたくなった。

自分の答えは、あそこにある気がした。