農業と芸術の一致

私は、原始的欲求(衣食住)に困らない環境で生まれた。

原始的欲求が満たされている私は、必然的に「芸術」を求めた。

 

少年時代、飢えにも似た感覚で求めたものが「芸術」だった。

私が最初に飢えを感じたのは、原始的欲求ではなかった。

(原始的欲求は、当然のように満たされているので)

 

だから、人間に一番大事なものは「芸術」だと思うようになった。

私は「芸術」を追い求めた。

 

時が経ち、私は大人になる。

「一人立ちしなければならない」という現実が私を襲った。

私は初めて「衣・食・住」の飢えを予感した。

どれほど素晴らしい「芸術」を作り出せたとしても、腹が減る。

「芸術」の無力さをひしひしと感じた。

人生の意味だと思っていた「芸術」は、万人を救うようなものではなかった。

腹の減った人には、紙よりもパンである。

 

では、私はなにをすればいい・・・。

 

考え、考えた。

 

私は、農業という選択肢を手に持っていた。(農業高校、農業を仕事としている)

農業こそ、原始的な欲求を満たすものである。

芸術に費やしていた力を、農業へ費やすことにした。

 

また時が経つ。

農業を仕事とし「衣食住」を満たす生活。

しかし「芸術」を手放せていない。

風の詩を書き

草花をスケッチする

心を日記に書きおこす

 

「私は、芸術を手放せない」

 

そう、思い至った。

「衣食住」が満たされたとき、

私には「芸術」が必要なんだ。

 

表現しなければ、私はもう生きていけない。

 

心身の充足が大事だ。どちらかだけではいけない。

「心」と「身」、二つのように見えるが、それは一つなんだ。

 

身を保つためには、心は邪魔。

心を保つためには、身は邪魔。

 

物事は相反する思い、言葉によって進化していく。

進化とは、知識の再構築である。

互いを否定し合う言葉が、同時に存在することで、再構築をうながす。

そして、さらに深い知識となっていく。

 

私はそれに興奮を感じる。

ウロボロスの輪である。互いの尾をくわえている。

それは「無限」を意味する。

「無限の進化」である。

 

「農」と「芸」

「地」と「空」

どちらかだけではだめなんだ。

気分によってどちらか一方を否定してしまいがちだけど、

それをしすぎると、かたよって、かたよって、しまいには倒れてしまう。

 

忘れないようにしよう。