はかなさの若者よ

若者にとって、死は魅力的にみえる。

自分の中身の無さをみては苦しんでいる。

唯一ある中身、売れるものといったら若さしかない。

だから、若さのあるうちに、価値のあるうちに、

人生を締めくくろうとするのだろう。

若者よ。

若さの価値を間違えてはいないか。

若さの価値は、健康の美ではない。

若さの価値は、無限の存在になりえることだ。

 

今は、ただの卵だが、

いつか、英知を産むニワトリになる可能性があるのである。

そんなものの価値を誰が推し量れようか。

 

若者よ。

君は今、春を過ごしている。

花を咲かせ、様々な花と、花粉として出会い、受粉し、生をはぐくむ時。

若者よ。

花は、見た目にわかりやすく美しい。

だが、君は花。実ではない。

確かにつみとられた花は、はかなく美しい。

しかし、それでは君の美しさを世界の遠方にいる者は知ることができない。

実(み)になれば、君の美しさは、君という一生が終わっても、遺伝子によって受け継がれるのだ。

遺伝子とは、精のことだけではない。

言葉だ、魂だ。

言葉の実りを待つのだ。

 

彼方の若者よ。

実をつければ、それが育ち、花となり、受粉をし、また実となる。

それを繰り返せば、私たちは出会うことができる。

私は君と出会いたい。

何千年という時が我々を別(わか)つとしても。