フェノミナン

 

ジョントラボルタ主演映画「フェノミナン」を観た。
知り合いにおすすめされていたのだけど、なかなか観れなかった。
ようやく観れた。

素晴らしい映画だった。
1996年公開ということもあって、
1990年代映画の幸せさと壮大さみたいなものを持っていた。
さらに、時代にとどまらない素晴らしさも強く感じた。

この「フェノミナン」という映画
日本では、あまり評判が良くないらしい。
公開当時みていた知り合いは、宣伝がよくなかったと言っていた。
日本でのキャッチコピーは「人生には、説明できない不思議がある」
うーん、、、そういうんじゃないんだよな。

あらすじとしては(CMにでてるレベル)
主人公のジョージ・マレー(ジョン・トラボルタ)が空に強烈な光をみて、そこから物を動かせるようになったり、めちゃくちゃ頭が良くなったりする。
そのせいで周りの人間は、ジョージを恐がり始めるというような内容。

確かにSFなんだけど、あの時代のSF(ジュラシックパークとかE・Tとか)みたいな感じではない。
起きることとしては、めちゃくちゃ地味なことばかり。
あの時代のSFの流行に乗って売り出したかった日本の配給会社は、壮大なSFっぽくキャッチコピーをつけたけど、そのせいで「フェノミナン」の観かたを間違えた人も多かったんじゃないだろうか。

(ここからネタバレ)

正直なところ、ネタバレするとまずい映画としても問題ない映画があると思うけど、これは「してもいい映画」かもしれない。
意味があるのは、ジョージの行動(哲学)であって、情報(誰が犯人か)とかじゃないから、ネタバレしても何度も楽しめる。

一気にネタバレします。

自動車整備工場に勤めるジョージは、正直者で皆に笑われてしまうような男。好きな人(二人の子供をもつ女性)が作っているイスを皆に買わせたり、スペイン語を話す同僚と話すためスペイン語を勉強してたりする(いつまでも話せないのでバカにされてる)。
そんな自分の心に正直で、笑われようともまっすぐに生きる男ジョージが主人公。
そんな彼が、空に強烈な光をみたときから、とんでもないことができるようになってしまう。
急にスペイン語がペラペラになったり、
長年チェスをしていて、勝ったことのない主治医を急に負かしたり、
本を日に最低3冊は読んだり、
家に研究室をつくり、さまざまなことを研究したりしはじめる。

知り合いは、バカにしていたジョージがどんどんすごくなるので、驚いて「なにを読むんだ」と聞く。
するとジョージは
「君にだって、読みたい本はあるだろ」
「よく考えて」と言う。

これが、この作品のテーマだと思う。
「よく考えて」
難しく言うなら、「哲学」だ。

ラストのほうで、ジョージの頭がよくなったのは、頭の中の腫瘍が四方に脳の機能を破壊せずに延びていたせいで、それが神経の活性化をうながしていたからだとわかる。そして、死が近いことを知る。

つまり、確かにジョージの能力はすごいものだけど、
それは人生を圧縮した結果手に入れたものなのだ。

だから、彼の能力は、彼が老人になってやっと手に入れる能力なのだ。
つまり特別な能力じゃない。(物を動かせるのは、集中力がけた外れになってるだけ)

だから、この映画は「人間哲学」なんだ。

まず、ジョージの能力をおそれて、攻撃する人がいる。
ジョージが未知の存在だからだ。
「あいつは、ほんとうは昔のままで、バカなんだ」とこけおろして安心してみたりする。自分と同じ世界にいなくなってしまった人をこけおろす人というやつだ。

でも、ジョージをおそれない人は、ジョージがなにも昔と変わっておらず「同じように嘘をつかない」というところをみている。だから、恐れない。彼らには、未知の存在じゃないからだ。

ジョージは、人生を圧縮し、様々な哲学にいたる。
どうやって人生を生きたらいいかの答えをみつける(この答えというのは、ジョージなりの答えである。ただ、人生の終わりに、人生の答えをみつけだすというような誰にでもあるやつ)。
そして、それを話そうとする。
が、話をきかない人もいる。自分たちのためになる話だけを聞きたがるのだ。
「UFOはいるのか」とか
「敵国の暗号を解読してくれ」とか。
それは、彼の能力を使おうとしているだけだで、彼の話を聞こうとしているのではない。

そして、彼の死がわかると
彼に生きたまま「解剖」させろと言ってきたりする。
「君が解剖されることで、人類になにかを残せる」と話す。
つまり、そういう人たちは「情報」が欲しいだけなのだ。

だが、彼は「解剖」を拒否する。
「私は、脳を解剖しないとなにも残せないと?私が死ぬ間際に、なにか言うかも知れない」
人間の価値は、単体の情報ではなくて、連続した情報「なにがあって、どのようにおもったか」にあるのだ。
そこに意味を与えるということは、どんな人間も意味があるということだ。どのような連続した情報を手にするかは、人間の数だけあるからだ。
それを、ジョージは伝えている。

彼は、病院から逃げだし、
愛する人の元へ行く。

愛する人の子供たちが、ジョージが死ぬことを感じ、ふてくされていると
自分がかじっているリンゴを渡し、
「これを土の上に落とせば、腐るが、君が食べれば思い出になる」と伝える。そして、子供は食べる。
死ぬのは、決められたことだから仕方ない。だから、子供に「生きた証」を残そうとするのだ。それをつなげ、人は生きていく。

ジョージは、愛した女性から、愛され、この世を去る。

死んだ後、ジョージは様々な人に物を残す。

地震学者には、自分の「未完成のレポート」を渡す。
続きは、誰かがつむぐのだ。

ジョージは、頭が良くなり、気づいたのだ。
人間一人だけでは、どれほど優れていようと、大きなことはできない。と。

だから作品中、常に誰かに言葉を渡そうとしている。


映画の終わりも素晴らしかった。
なにげない、映画の最後の一言だったが、
主治医と子供がチェスをしていて、
悩む子供に対して
「よく考えて」と主治医が言う。

そして、ジョージの写真にカメラが移動し、終わる。

そして、エリッククラプトンの「チェンジザワールド」が流れる。


素晴らしい映画だ。
ジョージは誰の思いも強烈に批判しない。
自分の思いに関しては、「そう望んでいる」と相手に言う。

それぞれの考えがあって、世界は回っているのだ。

なぜ日本のキャッチコピーが「人生には、説明できない不思議がある」というキャッチコピーになったのか。
この作品のテーマは「不思議なこと」ではないと思う。
人々が「当たり前に考えること」が、テーマなんじゃないだろうか。