幻想と私

幻想は力だ。私はそれに頼る

ああ、なんて弱い生き物なんだろう

そんなウソの力に頼らなければ生きていけないなんて

皆が自分を求めているという幻想を抱けば、恥部さえみせてみようという気になる。

Aはこういう人だから、こういう風に接して、

Bはこういう人だから、こういう風に接しよう。

そういう幻想が無ければ、誰とも話せない。立っていることすらできない。

幻想は闇だ。すべてのことを想像ですませられる。

相手の表情や、自分の姿をみずにすむ。

ほんとうは怒っているのに、ほんとうは醜いのに。

現実は光だ。強く、まぶしく、くらくらする。

でも、現実が無ければ私は軟弱に育つだろう。

光合成のしない植物のようにひょろひょろと、どこに向かっていいのかもわからず、ただようように成長を続けるだろう。

正しいことがひとつであったのならと思う。

幻想か現実、どちらかひとつだけを追い求め歩くことが、正しい道になるのならどんなに楽だろう。狂信的になりたい。しかし、そうはなれない。

今、目の前にいて話をしている相手のことを知りたいという欲がある。

けれど、幻想によってゆがめてしまうときがある。

そうしなければ、関係をなりたたせられないと気付くと悔しい。

本当はもっと知りたい。

私がどんな幻想をみているのかを知りたいんじゃない。

相手がどんな幻想をみているのかを知りたい。

幻想をみて、くるっている人をみたときだけ自分が幻想をみて、くるっていないのだと認識できる。

私は、幻想をみている相手をどこまでも包み込みたくなる。

誰の手によっても傷つけさせないと誓う。

赤信号を青信号だと思ってわたっていたら、車をとめて、助けたい。

私は自分が幻想をみていて、誰かを傷つけたりしているんじゃないかと、それだけがとにかく不安だ。

だから、幻想をみている人がいたら、安心して幻想をみさせてあげたい。

私はそれをしてもらいたい。

幻想をみているかもしれない私をみつけたら、ほっておいてほしい。

幻想にいってしまったときはなにをしても戻ってこないし、現実に戻ってくるときは、戻ってくる。

ただ待つしかない。

私も待つ。

目が覚めるのを。