ネジと私と無駄話

仕事中に雑務として、印刷物の描かれた紙をはさみでカード状に切っていた。目の前には同じ仕事をしている若い女性がいて、共に果てのない会話をしながらカードを切っていた。

そんな仕事の最中、脈絡もなく彼女がこんなことを言った。

「こういう風にはさみを使っていると、はさみに心があるのかな?なんてことを考えたりするんですよね。みんなは考えないらしいんですけど。」と彼女は言った。

この彼女は、本人いわく純粋なものが好きで、なにかにつけて「優しさ」とか「自然の素晴らしさ」とかを話の中におりまぜる人である。そんなことで、周りの人と会話が合わないことがあると前に打ち明けてくれていた。今回の話もその流れで「はさみに心があると思ってしまうのは変でしょうか?」ということなのだろう。

私は「物に心があると思うのは、子供のときは皆思うらしいですよ、だから大人になっても子供のときの純粋さを失っていないってことなのかもしれませんね。」と話した。

彼女は「なるほど。」と切り返した。私は、彼女が納得したかはなはだ疑問だったが、そのあとの会話を続けても、その思いを無理やり賛美するような文句になりそうだったので、話を区切り、再びカードに意識を戻し黙々と切ることにした。

黙々と切っていると、さっきの彼女の質問が頭の中に戻ってきた。確かに私も無機物に対して心があると思うタイプだと思った。その思いを脳内でフラフラさせていたら、ひとつの疑問が浮かび、私は口に出した。

「はさみに心があるとしたら、ネジにも心があるという話にもなってくるんじゃないかな」

彼女は終わったと思っていただろう話がまた始まったので驚いたようだった。確かに、脈絡から言えば確実に「END」の文字が付いた話だった。私はこういうことがよくある。しかし、これはしょうがない。きっと彼女は、私と1対1で会話していると思っているだろうが、私は会話が終わったあとも彼女の会話をうけ、私の内面(彼女の見えないところ)で多種多様な意見をもつ様々な私とも会話していたのだ。それは私以外にはみえないので、それがみえない相手からすると終わった会話がまだ終わっていないことに驚くのだろう。そして、そんな何十人の会話が私の中ではじまってしまうと、私は一つの口から何十人分の意見を一度に言わないといけないので大変忙しい。

彼女のほうをみると顔に「?」が浮かんでいるが、何十人分の意見をいわないといけなくて忙しい私は、彼女が返事もしないうちに次の意見を口に出す。

「はさみに心があるとして、そこからはさみの一部であるネジにも心があるとすると、そのネジははさみとして機能しているとき、ネジはネジとしての意識を持つのだろうかということを考えだすよね。」

ある一人の私が、このネジについての妄想を強める一文を脳みそのすみっこに見つけ、取り出した。

「話はとぶけれど、臓器の移植手術の話で他の人の臓器を移植した後、移植された人が、自分のものではない記憶を持っていることに気づいたらしい。そして、その記憶は、臓器提供者の記憶だったらしい。体の一部は意識を持っていないように思えるけど、持っていた。」

彼女は「それって怖い話ですね」と返答する。話の全容はつかめていないだろう様子だが、なんとなく怖いことをいっているからの返事という感じだ。意味がわからないのに優しさで話を聞いてくれているのが伝わってくる。しかし、わかっているのに止まらない。

「だから、たとえばその臓器のように、はさみにとっての体の一部であるネジも意識をもっていたとしても大きなもの、はさみという形にとりこまれると、ネジ自体の意識は薄れるのかもしれない。」

溢れ出す何十人分の議論。それが一つの口から飛び出していく。

「意識があってもパーツとして大きな形に飲み込まれると、その存在(パーツ)の意識がなくなり、大きな意識にとりこまれるというのはよくよく考えてみればあることだ。たとえばそれは戦争なんていうときに良く現れる。一人の人間は持ちえない意識でも、集団になると現れる性質がある。私たちも、その大きな意識のパーツにすぎなくなり、意識が消える。」

彼女の顔は降伏宣言をしており、これ以上の会話は死に体に剣を刺すようなものだ。しかし、私はいまようやく剣の振り方をつかんできた人間であり、それを試したくてしょうがなくなっている。狂気にとりつかれた人間は、無意味な行動を繰り返す。人間は目的のために生きてはいない。

私はこの後もこれらに続く会話を仕事の終業時刻まで続けた。疲弊した彼女は最後に「なんだかわかりそうだったけど、まだ私には難しくてわからなそうです」というネットショッピングのAmazonにある評価欄のような意見を残してくれた。星はいくつだろうか?

そして、私はこんなにも会話で若い女性を疲弊させたというのに、まだ話し足りないのかブログにまでそのことを書くのであった。