ジャック・タチ監督作品 映画「プレイタイム」について(ネタバレ無し)

 

「プレイタイム」は天才ジャック・タチが全財産をかけて作った喜劇作品である。

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 「プレイタイム」は興業的には成功せず、ジャック・タチはかなりの負債を負うことになる。

 興業的に失敗したのは、前作「ぼくのおじさん」でそのモダンで先進的なセンスが大爆発し、世界に名を知らしめたのだが、この「プレイタイム」ではそこで得た資金でも足らぬほどの金を使い、存分にジャック・タチの力を注いだ結果、あまりにも時代を先行しすぎていて世界がついていけなかったからだろう。

「タチ・ヴィル」と呼ばれる街をまるごと作ったという驚愕の逸話を知ると、映画をみるまえからジャック・タチの完璧主義に笑ってしまう。

 

 さて、「プレイタイム」の内容を説明したいが、まずはジャック・タチ作品を説明しなければならない。

「ぼくの伯父さんの休暇」からジャック・タチ作品には、定番キャラクターである「小さい帽子とパイプをくわえ、レインコートと丈の足りないズボンを着た、のっぽで無口な人物、ユロ氏」がでてくる。

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 視聴者は、ユロ氏が様々な場所であたふたする姿をみて笑うのだ。

 

「プレイタイム」もそんな「ユロ氏」が登場する作品である。

 しかし「ぼくの伯父さんの休暇」「ぼくの伯父さん」のようにユロ氏を追いかけるようなものではなく、「プレイタイム」は「タチ・ヴィル」という街を描いているといえる。「ユロ氏」は「タチ・ヴィル」にいたから映るだけなのだ。

 

どんな作品かを問われれば、

「道に面した喫茶店で、外の様子を眺めているような作品」と言いたい。

 

 今の映画の大衆的な主流は、作品がどれだけ感情移入できるかである。

 ゴットファーザーで顔だけの演技が注目され、それによって「どのように感情移入させるか」を映画人は考えてきた。

 感情移入させることを目的にした作品は、それをみている人が、主人公と敵対するものにたいしては「怒り」を感じ、「なんてやつだ」と作品に干渉しようとさせるまでに至る。

 この流れを進んでいくと、現在、映画館にある3D上映や4DXへの進化にみられるような自分が体感することを突き詰めたものになるのである。

 

 その流れの中にあって、「道に面した喫茶店で、外の様子を眺めているような作品」はまったく逆の流れをもっている。

 私たちはガラスの向こうの人々に干渉することができないことをわかっている。

 私たちは、その人々がおりなす群像劇をただ見守る。

 電車や、街中で人々のほほえましい姿をみかけたり、全面ガラス張りに気づかずに前進し頭をぶつける友人を笑ったことはないだろうか?

 そんなとき、現代ではSNSなどに発信している人もいるようである。

 そのような楽しみを「プレイタイム」は提供してくれる。

 なじみのない楽しみ方であるがゆえに、感情移入させる作品(ハリウッド的作品とも呼ぼうか)になれた人は、楽しみ方がわからず、最初は面白みを感じることができないだろう。だが、このような作品は、頭から離れず、ふとしたときに思い出すことが多い。

「ああいう人がいたよ」と友人に話したくなるような、映画でみたことを実体験の一部として話せるようになる作品なのである。

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               つづく(機会があれば)