チャップリン監督作品「モダン・タイムス」映画評論~喜劇と貧困の親和性~

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~あらすじ~

経済が不況で、失業者が街に溢れている。チャップリンは生きるために、働くが、大量生産を推奨する会社は人々を機械のように無機質なものとして扱う。

チャップリンはユーモアによってその社会を我々にわかりやすく笑い飛ばすのである。

 

 

~考察する前に、喜劇について~

喜劇というのは「キャラクターが自分の意思で自分の動きを制御できない」ことである。

たとえば、頭に物がぶつかってきて痛がったり(無表情で我慢できたら面白くない)

どっきりなどを仕掛けて、人が思い通りに驚いてくれたら面白いのは「相手が自分の意思で自分の動きを制御できない」からである。

このことを覚えておいてほしい。これからこれを踏まえて「モダン・タイムス」を考察していきたい。

 

1.ベルト式大量生産

 

2.デモに巻き込まれ、刑務所へ

 

3.少女に薦められ、唄って踊る

 

4.警察に追われ、また振り出しに

 

1.ベルト式大量生産

現代も車工場などにみられるベルト方式、フォード社が車の生産にはじめて採用し、車の大量生産を可能にしたことで有名である。「モダン・タイムス」では、チャップリンが工員として、ベルト式を採用した工場で働いており、休む間もなく流れてくるものに翻弄される。

チャップリンはまさに「自分の意思で、自分の動きを制御できない」状態になるのである。

休む間もなく同じ動き(ネジを締める動き)を続けた結果、けいれんしたようにその動きばかり繰り返すことになる。「自分の意思で、自分の動きを制御できない状態」の発展系といえよう。私たちはそのどうしようもなさに笑うのである。

 

2.刑務所へ入るために、無銭飲食を行う。

失業したチャップリンは、路頭に迷い、盗みをした少女の罪をかぶり刑務所へ入ろうとする。それでも捕まらず、とにかく捕まりたいので、とにかく豪勢なものを食べまくり、タバコをふかし、金持ちのように子供に売店から物を与える。

 

~貧困と喜劇のつながり~

貧困も喜劇と同じように「自分の意思で、自分の動きを制御できない状態」といえる。

チャップリンも生きるためには無銭飲食をし、刑務所へ入るという選択肢しかない。

貧困は、知識やお金のなさによって自由な選択を奪われるのだ。

たとえばお金のために「働きたくない劣悪な環境」で働いたり、

消費税が少しでも上がれば、そのために食べるものも自由に食べられなくなる。

貧困者は自分の意思ではなく、周りの影響によって動かされる。

このように「貧困」の本質と「喜劇」の本質はとても似ているところがある。

 

3.少女に仕事を紹介され、唄って踊る。

チャップリンは、意図せずとはいえ盗みを働いた少女を助けようとし、少女はチャップリンに感謝していた。少女は自身が働いていたレストランの仕事を紹介され、ウェイターの仕事につくがうまくいかず、「それならなにか見世物ができるか?」と聞かれたチャップリンは「できる」と返事してしまう。そして、なにもないところから必死に生み出した見世物が大喝采を浴び、チャップリンに一筋の光がみえるのである。

 

~貧困からの脱出~

貧困に陥る理由には、技術や資格がないため、仕事に関して選択の自由がないことがある。

チャップリンは、学歴不問の仕事しかしていない。

その時、上記のシーンで見世物の才能という自分の中に技術的なものを発見したのである。これによってチャップリンは仕事選択の自由を得て、一筋の光、貧困からの脱出を感じる。

 

4.警察に追われ、また振り出しへ

一筋の光を発見したチャップリンと少女であったが、少女を追っていた警察がレストランに現れ、チャップリンは少女と共に警察から逃げる。そして、二人は振りだしに戻ってしまうのである。落ち込む少女にチャップリンは笑いかけ、どこへ続くかもわからない道を二人で仲良く進んでいき、映画は終わる。

 

~喜劇からの脱出~

喜劇は「自分の意思で自分の行動を制御できない」と話した。

「モダン・タイムス」のラストシーンは、チャップリンが自分の意思で「どこへ続くかもわからない道」を選択する。

このシーンで私たちは今までチャップリンが見せてくれた笑いではない、別の笑い(スマイル)を感じるのである。

このラストシーンで「モダン・タイムス」は「自分の意思で自分の行動を制御できない」喜劇の本質から抜け出したことで、喜劇でなくなったともいえるのだ。

 

 

~まとめ~

チャップリン映画は、貧困をえがいたものが多く、喜劇との親和性が高い。

チャップリンが「喜劇王」と呼ばれるのはそのためかもしれない。

さらにチャップリン映画の「貧困」は本当に貧困を知っているものにしかえがけない「貧困」である。

黄金狂時代(1925)では、雪山の小屋で食べるものに困り、自分の皮靴を煮て食べる。

チャップリン 犬の生活(1918)では、路上に転がる牛乳瓶のそこにあるミルクを犬になめさせる。

これら「本物の貧困」がチャップリン映画を現代まで語られる作品にさせているのかもしれない。

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