映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」評論~芸術があるということは~

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映画界は今、実在の人物を元にした作品(ボヘミアン・ラプソディロケットマンなど)が席巻している。次々と作られるそのような作品群の中に「永遠の門 ゴッホの見た未来」はあるが、人物に対してのアプローチ法はまったく新しいものであり、深い感動を与えるものであった。

 

監督は「バスキア」「夜になる前に」「潜水服は蝶の夢をみる」のジュリアン・シュナーベル

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バスキア」「夜になる前に」共に、実在する作家(画家・小説家)を題材にした作品である。ある種得意な、作家を描く作品で今回、監督(ジュリアン・シュナーベル)は「フィンセント・ファン・ゴッホ」を選んだ。

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監督(ジュリアン・シュナーベル)は映画「バスキア」作品冒頭で、

「人はゴッホという船に群がる。

危険だが皆が乗りたがる船だ。

貧困の天才が屋根裏で絵を描く図は、商売の宝庫だからだ。

ゴッホはこの神話を世に浸透させた。

生前売れた絵はわずか一枚。もらい手すら皆無。 あれほどの天才を人は無視した。

 以後の美術界はそのことへの後悔が根底にある。

第二のゴッホを見逃してはならないと──」

と語る。

監督(ジュリアン・シュナーベル)にとって「フィンセント・ファン・ゴッホ」の映画を撮ることは特別な意味をもつものであるに違いない。

「永遠の門 ゴッホのみた未来」という作品は、見事に監督(ジュリアン・シュナーベル)にしかえがけない作品であり、新しい感動の道を私たちに見出した。

 

そんな「永遠の門 ゴッホのみた未来」を3つのポイントにわけて、おすすめしたい。

 

・2時間画面をもたせられる男 ウィレム・デフォーのすごさ

 

・監督(ジュリアン・シュナーベル)の画家だからできるゴッホ解釈

 

・まとめ 芸術があるということは

 

・2時間画面をもたせられる男 ウィレム・デフォーのすごさ

 

「永遠の門 ゴッホのみた未来」のゴッホ役は、ウィレム・デフォー

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スパイダーマン」のゴブリン役、「グランドブタペストホテル」での掃除人など、熱烈なファンの多い俳優である。

「永遠の門 ゴッホのみた未来」は、ゴッホウィレム・デフォー)を2時間追いかけ続ける映画と言っても過言ではない。ということは、ゴッホ役を演じる人物は、2時間画面に映っていても、飽きさせない存在感が必要だ。これが映画というものの主演になることの難しさでもある。どんなに美しかろうが、恰好がよかろうが、画面を持たせられなければ主役にはなれない。

皆さんの好きな俳優を思い出してほしい。その俳優は、たたずんでいるだけで絵になるはずだ。その点で、ウィレム・デフォーという俳優は完璧だった。

ゴッホは当時30代で、ウィレム・デフォーは現在60代。演じるには年が離れすぎているように思えるが、監督(ジュリアン・シュナーベル)いわく、あのときゴッホはすでに疲れ切っていたという。この年の差のある配役は、表現として見事に結実し、泥にまみれながらも、真実を探し求めるゴッホという人物を画面の中におさめた。

ウィレム・デフォーは監督(ジュリアン・シュナーベル)から実際に絵を習い、作中、絵を描いており、その筆の置き方はリアリティを感じさせた。

作中、ゴッホウィレム・デフォー)は、絵の題材を探し求め、とりつかれたように歩き続ける。撮影監督のブノワ・ドゥロームが歩くゴッホウィレム・デフォー)をあまりにも追いかけ続けるので、監督(ジュリアン・シュナーベル)は撮影監督(ブノワ・ドゥローム)を呼び戻すのが大変だったそうだ。

 

クエンティン・タランティーノは、主演についてこう語る

「主演の仕事の一つは、演技によって映画を導くことだ。」

 

ウィレム・デフォーは、その演技によって現場に火をつけ、作品の結実へ導いたのである。

 

 

2.監督(ジュリアン・シュナーベル)の画家だからできるゴッホ解釈

一般的にゴッホについてよく語られる話は、

「自分の耳を切った」とか「人生で一枚しか絵が売れなかった」などゴッホの逸話について語られることが多い。

そんな人生から「狂気の作家」だとか「精神病的な絵」「ミミズの這った絵」などと解説されることも多い。

これは作家の人生から、作品を読み取るという解釈法である。(美術館の音声ガイダンスなどでよくきく方法)

だが「永遠の門 ゴッホのみた未来」は、人生~作品への解釈の流れではなく、作品~人生の流れでの解釈を行った。

 

人生~作品の流れで、解釈を行うと、「こういう人生だったから、こういう色をよく使う」という人生からの解釈になる。

作品~人生の流れで、解釈を行うと、「こういう絵を描くなら、こういう人生だったのではないか」という作品からの解釈になる。

 

監督(ジュリアン・シュナーベル)はインタビューにて

「私はフィンセント・ファン・ゴッホを可哀そうな人だとは思っていない」

と語っている。

 

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ゴッホは、生前絵が一枚も売れず貧困であり、精神病にも悩んでいる。だが、監督(ジュリアン・シュナーベル)はゴッホへの一般的な「生きている間に恵まれなかった可哀そうな人」という評価を否定する。それは、監督(ジュリアン・シュナーベル)がゴッホの人生だけでゴッホを測るのではなく、作品からゴッホを感じようと試みた結果なのではないだろうか。

そのため、映画にえがかれるゴッホは、絵をかくことに価値を見出し、絵を描いていることに解放感を得ている。「自分のやるべきことをみつけ、それに没頭する人」そんな人物を可哀そうな人とわたしたちは言えないだろう。

新たな方法論によって「永遠の門 ゴッホのみら未来」は、新たな感動を与えてくれる。

 

3.まとめ 芸術というものについて

この作品中、ゴッホウィレム・デフォー)は、未来のために描いている。と話している。

日本でもゴッホは大人気で、何度も展覧会が開かれる。私たちは、過去の人であるゴッホの描いた絵に感動するのである。つまりゴッホの描く絵は、「永遠の門」なのである。過去も未来もなく、人々を感動させる。人々をつながらせる。

監督(ジュリアン・シュナーベル)は今回の映画でそれを伝えたかったように思えた。

そして、私は芸術というものもまさにそのようなものだと思った。

ある人物が感じた、美しいという感情とそれを起こした対象をえがき出し、人に伝えようとする。またそれに感動したものが、その感動とそれを起こした対象をえがき出し、人に伝える。それが芸術だ。

今回の映画では、ゴッホの絵の感動が、監督(ジュリアン・シュナーベル)に伝わり、「永遠の門 ゴッホのみた未来」となって私に伝わった。そして、今このように評論を書き、人へ伝えようとしている。

もしかしたら、ゴッホが伝えたかったこととは違うかもしれない。

だが、素晴らしさを感じた時、私はそこに私の本質を感じた。

「われ思う、故にわれあり」

である。

この映画はみた人の心を揺り動かし、貴方の感覚(本質)というものを感じさせる。

感覚へまっすぐと、不器用に進んでいったゴッホが題材だからこそ、それは可能になっている。

 

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